山田式の日記

健忘録とインプットしたものの感想をある程度まとめるところ

秒速5センチメートルは本当にバッドエンドなのか?

後味が悪いアニメの代表のように扱われる秒速5センチメートル、面白いんだけど、みたいな評価を受けるがあの終わりがハッピーエンドに感じられないのは我々が視聴者だからだ。

 

ミストを思い出して欲しい、あの映画は我々が主人公に感情移入することを前提に作ってあり後味が悪いもののよくよく考えるとその原因は全て主人公にあると考えれる。

それでも我々がバカだなぁと笑わず後味を悪く感じるのは感情移入をしてしまい、本当に正しい、幸せなこととはなんなのかを見落としてしまうのだ。

 

秒速5センチメートルにも同じことが言える、最高の回想最高のシーン、1月後に式を控えたあかりと先日彼女に振られたたかき、桜花抄では良く似た二人であったから距離を近づけることができたのにここの二人は対極と言っていいほど似ていない。この時点であのラストは暗喩されていたのだ…と今気づいた、よくできてるなぁこのアニメさすが新海誠………

 

 

閑話休題

 

バッドエンドと言われるのはなぜなのだろうか、あの二人が付き合わなかったから?なら、高校や大学生になり二人が遠距離でも付き合ったとしてあの、桜花抄での完璧な日を二人は乗り越えることができるのだろうか、私には不可能としか言いようがない。年月が経つにつれ、言葉を交わすにつれあの完璧な夜はどんどんと陳腐な面白味のないものへと変化するのではないだろうか。

もちろんそこに愛があれば問題ないと考える人もいるかもしれないが、私にはそれが彼らの本当の幸せであるとは到底思えない。

 

 

 

ラスト、あのあかりが知ってる?と声をかけた日のように桜は舞い散り、たかきの前を踏み切りが上がった直後にあかりがいないことを確認したそのとき、たかきは少し笑うのだ。自嘲するかのようでもあるが安堵したようにも見える、私はあの笑みは安堵だったんだろうと思う。ああ、やっと。一度完璧を味わってしまったたかきは完璧に囚われてしまっていたのだろう。

 

そして完璧になればそれを超えることができないのではないかと思い距離を詰めることを拒んでしまつまたのだろうと夢想する。多分だが、踏切の後にたかきが水野さんとよりを戻すことができたのならきっとたかきもあかりのように幸せを見つけることができるだろう。

 

あかりの幸せは言うまでもないから省略する。

 

 

 

さて、ふと思ったのだがあの完璧は両者にとって完璧だったのだろうか、だとしたらなぜあかりは完璧に囚われなかったのだろうか。

 

ふとたかきに関する考察をだらだらと書いていたらそんなことが頭をよぎった。誰かあかりがなぜ、どのような心境であの完璧を乗り越えたのかを教えてくれるような人はいないだろうか、個人的にはあかりが読んでいる本に何かヒントがあるような気がするので私もそれを読んでみようかと思う。

 

 

 

では、いつかその本を読んだらまたこのクソブログも更新しよう。

 

 

コロナにはもう飽きた

山田式のアカウントはもはや開く気もせず、本垢も愚痴をダラダラと流すためにあるのではないので備忘録に投げる。

 

正直1年2年続くだろうこのコロナの話、マスメディアは不安を煽り対応を批判し同じことを何度も繰り返す。かつて小学生時代に世界滅亡シナリオを紹介するテレビで散々不安になったのだから、この世の終わりのように報じられるニュースを子供は不安に思うのではないかと感じてしまう。

マスメディア批判をしたいわけではないか自身の社会的役割を既に失い全く信用しないと言われてしまう、そう言っても一定の理解を示されてしまうようになった彼らに存在意義はあるのだろうか。個人的には電通に早く潰れてほしいので新聞とテレビには消えてもらうと喜ばしいのだが。

 

大学にも思うところがある。私は勤勉な学徒とは口が裂けても言えないが、あの様々なものが入り混じり各々がある領域の知の最先端にいる空間が好きだった。授業に関係なくても教授に聞けばなんらかの答えが返ってくる、自身が勉強すればいつかは知の最先端に行けるのではないかと淡い希望を持つことができるあの場所が好きだったのに6月末までコロナで大学に行くことすら叶わなくなった。

まぁ院生は研究している人間もいるようだが……ブラックですね。

 

様々な事情があるのだろうが、こうすればいいのに、ああすればいいのにと子供の頃から考えていることと現実のギャップに心が追いついていない。

コロナの件もそうだ。

転売についてもっとしっかりと法規制を進めていれば、テレビのクソみたいな湾曲についてなくそうとしていれば、毎日同じニュースを見なくていいかもしれないしマスクの転売もそもそも存在しなかったかもしれない。

 

少年時代の英雄願望も既に失い残ったのは失敗した虚無感とそれでも進まなければならない義務感のみ、この先になにか喜ばしいものがあるのかわからないが面白い場所も自信も失って進むのは厄介だなぁと同じニュースを眺めながら思う。人間が皆善であれば良かったのに。

 

空の青さを知る人よを見たって話


腕のいいシェフが微妙な、スーパーで買った食材でオーナーとかスポンサーの意向に沿った料理を作ったみたいなイメージ。悪くはないけどもっと良くなるよなぁとも思うよねぇ、ってイメージ。


話をおさらいとか言おうと思ったけど1時間30分の映画のストーリーをまとめるのめんどくさいし何となく感想書きながら振り返ってみる。まず序盤、蒼が一人、高架下で演奏してるシーン 何となくそれだけでうまい気はするしおじょうず~って見てた。イオンシネマだから音響が悪かったかもしれないけど割と実際に触ってる感あって感動した。音響、というかおt図栗は結構好みだった。まあ音楽が個人的にダメなんですけどね。


じゃあ逆にどこかよかったところあるのって聞かれるとないんだなぁこれが。ここさけ(心が叫びたがってるんだのこと。同じ制作チームが作ってる)をこの後見たんだけどここさけはすべて必然でよくできていたのにどうしてこうなった……と悲しくなった。
作画はところどころ劇場で見るに堪えない荒い部分があったし、見せ場の空中シーンは天気の子の二番煎じ、個人的には1800円払ってまで見る価値はないんじゃないかなぁと思う映画だった。

 


 
まあ大概の前の作品が大ヒットしたところの創作物なんてそんなもんで、天気の子をきっちりと作り上げた新海誠、晩年はゴミの作品を作ったとしてもアラレちゃんの次にドラゴンボールを生み出した鳥山明がすごいだけだからそんな責めることではない。
責めることではないとは思うんだけど心が叫びたがってるんだみたいに偶然ではなく実力で作品を作り上げたってことがわかる制作体制なだけに悲しいなぁって話。
 
すべて大人の事情が悪いんだよ…     

映画 helloworldの感想とか

誰が読んでんだよこのブログ……とは思うものの書くのが好きだから書く。書くって楽しいよね、大学のレポートとかですっかり忘れちゃうけど絵も、文字も、何かを表すことはすごく楽しいことだって改めて思うわ。

 


最初期には備忘録として使おうと思ってたこのブログだけど何かインプットしたもの、アニメやゲーム、本、漫画などなどすべてについて書いていこうかなぁって改めて思う。というわけで今回はhelloworldについて。原本、というかアナログにもノートに書いてあるものからとりあえず引用しておこう。

 

 

 

2重の入れ子構造は新しいとおもった。一度はあの話のオチを新しいとおもったが、あれが本当にセンセイを助けるためだけに作られた世界なら“実験は成功した。次の治療のためにリセットしよう。”となればこの話はみんなが幸せになるという話ではなく、一時的に、なんの助けも救いもない地獄のような話だと思う。なんとなく、センセイは失われた時間をだんだんと取り戻していくのだろうが、あの話が無駄になると思うとすごく寂しくなる。まぁ正直はじめはハッピーエンドだと思ったんだけどね。

 

 

 

ひどい文字だぁ…汚すぎる。とりあえず、ここまで読んでる人がいるなら(いないと思うけど)helloworldの話をおさらいしておこう。

 

 

 

平凡な主人公、堅書直実のもとにある日未来の自分、カタガキナオミが現れる。(以下センセイ)センセイは直美の世界が現実をシミュレートした仮想世界と語り、直美に彼女を作る手段を教えるという。そんな彼の目的は、たとえ仮想世界だとしても直美の彼女、一条瑠璃の笑顔がみたいというものだった。

 


というのも、一条さんは花火大会でデート中落雷にあい命を落とすらしい。ならセンセイが守ればいいじゃんと思うが、センセイは仮想世界では直美以外には認知されずそれができないのだ。そのために直美はセンセイから仮想世界を改変する力をもらい、その訓練とともに一条さんと仲を深めていった。

 


そして花火大会当日、無事一条さんを守るもセンセイの本当の目的が落雷で命を落としたのではなく植物状態になった現実の一条さんを救うことだと明かし、仮想世界の一条さんの意識を移すことで植物状態から彼女を救うことだと明かされ、一条さんは攫われてまう。

 


シミュレートは本来世界をそのまま保存するためのもので、一条さんが消えたことでリセットしシミュレートをやり直そうと現実世界では決まり……うーんめんどくさい。ウィキペディアを読んでくれ。無理だ。というか説明しないことを無理やり話をつなぐことが大変だわこれ、ウィキペディアのあらすじにはセンスはないがよくまとまってるとは思うから……できれば劇場で見て欲しいけど。

 

 

 

というか書きたかったのはそんなことじゃないんだよな、青少年なら誰もが持っているであろう根源的な恐怖である自己の喪失、連続性の消失について描かれてないことについても書きたいけど、本題は別にあるんだなぁ。

 


というわけで本題、helloworldの世界観がどれだけやばいかという話なんだけどあの話、最後に2重入れ子構造であることが明かされたんだけど直美の世界、全く新しい世界、helloworldと呼ばれるあの世界はいつ消えてもおかしくないのが怖すぎる。きえたらhelloworldという物語の半分は茶番になってしまう。

 


手帳の引用の通り、このサーバーはきっと植物状態になった人のために使い回され、その度にリセットされるのだろうがそこにいる人間は確かに自分の意思で行動している。にもかかわらずリセットされる。これは自分の世界が現実であると信じて疑わない我々にどうしようもない根源的恐怖を生み出すと思うんだなぁ、現代のトゥルーマン・ショー(思い出すのに10分かかった)であるとも思う。

 


この映画はその後がほとんど描かれてない、入れ子一つ目では直美の世界が続くであろうことが描かれてるが2つ目ではその世界がいつきえてもおかしくないことしかわからない。怖いなぁ、非常に怖い。この映画本当はホラーだろ、そう思っちゃうくらい怖い。

 


この映画、SAOの作者が絶賛してるとか聞いたんだけどAIにも意思が宿るという話をあんなにも強く、おもしろく描く人間がこの映画を絶賛する理由がわからない、逆にアンチになってもいいと思うんだ。そのくらいこの映画は仮想世界を軽く見ているのが伝わってくる。面白いんだけどね!

 

 

 

という話。

れいわ新撰組に感じる気持ち悪さ

寝るのを諦めたので2本目

野党が買った与党が勝った結果はどっちの勝ちだとかは正直どうでもいい(選挙は行ったけど)人種なのであんまり政治の話はしないんだけど、躍進したというれいわ新撰組がどうしても気持ち悪くてしかたない。

 

もちろん僕が差別主義者で、国会を改造するよりアイパッドでも置いて議会に参加すればいいじゃん、国会改造するお金を大学の研究開発費に使えばいいしとか、山本太郎氏が原発のデマを散々ばらまいておいて大して社会的責任を負うことなくのうのうとしてるとかって話もある。

でもそれを差し置いてもあの党は気持ち悪い。ジョークじゃんwって言って嫌がらせしてくる教師くらい気持ち悪い。

 

というのも、重度訪問介護の指定を受けていたいから登院できないってのが本当に気にくわない。というか政党補助金や国会議員の給与で十分賄えないのか?まずそこで本当に社会を変えるかがあるのだろうかと疑ってしまう。

 

次に彼らの話の理屈の立て方が気にくわない。

〇〇なのは国が悪いからだ。これはわかる。ただその解決方法が全て理想論なのだ。

 

よくわかるのが最低賃金1500円保証だろう、これは時給1500円に賃金が届かなかったら国が保証するらしいのだが、これはもし企業が1円に給与を決めたら1499円国が補填するのか?

仮にそうであってもウーバーイーツのような働き方のもので途中でサボってダラダラ配達して実質時給が安くなっても支給するのか?

 

しかも財源の確保手段がないのだ、国債の発行は現在でもものすごいペースで行われているし、仮に消費税分を国債で賄ったとしたら現在の3倍以上の国債発行ペースになるだろう。

安全神話が囁かれる日本国債なら問題ないのだろうか?いや僕はそうは思えない。もちろん2〜3年で景気が上向けば大丈夫だろうが、そんなにすぐゴミのような景気はなんとかならない。無理だ。ならば、法人税を上げればいいのでは?と思うかもしれないがただでさえ死に体の産業にとどめをさすことになるだろう。

 

つまり、絵に描いた餅だ。

他の政策もそうなのだ、トンデモ法の見直し……本当に、ちゃんとその法律ができた経緯を考えたらトンデモなのか?

原発の廃止、もちろん進めるべきだろうが代替エネルギーを揃えられるのか?電力は常に余裕がないといけない、それが自然エネルギーを推し進めることで解決するのか?自然破壊を前提としたメガソーラーでも使うかなのだろうか?それともエネルギー資源に乏しい日本でさらに石油や石炭の輸入を増やすのだろうか?

 

僕にはこのようにほぼ全てが理想論で、それが本当に行われたらどうなるのかを考えることができない人を釣る為に甘いことを言っているれいわ新撰組に気持ち悪さを禁じ得ない。 

 

という話。寝るのは諦めました。