山田式の日記

健忘録とインプットしたものの感想をある程度まとめるところ

映画 helloworldの感想とか

誰が読んでんだよこのブログ……とは思うものの書くのが好きだから書く。書くって楽しいよね、大学のレポートとかですっかり忘れちゃうけど絵も、文字も、何かを表すことはすごく楽しいことだって改めて思うわ。

 


最初期には備忘録として使おうと思ってたこのブログだけど何かインプットしたもの、アニメやゲーム、本、漫画などなどすべてについて書いていこうかなぁって改めて思う。というわけで今回はhelloworldについて。原本、というかアナログにもノートに書いてあるものからとりあえず引用しておこう。

 

 

 

2重の入れ子構造は新しいとおもった。一度はあの話のオチを新しいとおもったが、あれが本当にセンセイを助けるためだけに作られた世界なら“実験は成功した。次の治療のためにリセットしよう。”となればこの話はみんなが幸せになるという話ではなく、一時的に、なんの助けも救いもない地獄のような話だと思う。なんとなく、センセイは失われた時間をだんだんと取り戻していくのだろうが、あの話が無駄になると思うとすごく寂しくなる。まぁ正直はじめはハッピーエンドだと思ったんだけどね。

 

 

 

ひどい文字だぁ…汚すぎる。とりあえず、ここまで読んでる人がいるなら(いないと思うけど)helloworldの話をおさらいしておこう。

 

 

 

平凡な主人公、堅書直実のもとにある日未来の自分、カタガキナオミが現れる。(以下センセイ)センセイは直美の世界が現実をシミュレートした仮想世界と語り、直美に彼女を作る手段を教えるという。そんな彼の目的は、たとえ仮想世界だとしても直美の彼女、一条瑠璃の笑顔がみたいというものだった。

 


というのも、一条さんは花火大会でデート中落雷にあい命を落とすらしい。ならセンセイが守ればいいじゃんと思うが、センセイは仮想世界では直美以外には認知されずそれができないのだ。そのために直美はセンセイから仮想世界を改変する力をもらい、その訓練とともに一条さんと仲を深めていった。

 


そして花火大会当日、無事一条さんを守るもセンセイの本当の目的が落雷で命を落としたのではなく植物状態になった現実の一条さんを救うことだと明かし、仮想世界の一条さんの意識を移すことで植物状態から彼女を救うことだと明かされ、一条さんは攫われてまう。

 


シミュレートは本来世界をそのまま保存するためのもので、一条さんが消えたことでリセットしシミュレートをやり直そうと現実世界では決まり……うーんめんどくさい。ウィキペディアを読んでくれ。無理だ。というか説明しないことを無理やり話をつなぐことが大変だわこれ、ウィキペディアのあらすじにはセンスはないがよくまとまってるとは思うから……できれば劇場で見て欲しいけど。

 

 

 

というか書きたかったのはそんなことじゃないんだよな、青少年なら誰もが持っているであろう根源的な恐怖である自己の喪失、連続性の消失について描かれてないことについても書きたいけど、本題は別にあるんだなぁ。

 


というわけで本題、helloworldの世界観がどれだけやばいかという話なんだけどあの話、最後に2重入れ子構造であることが明かされたんだけど直美の世界、全く新しい世界、helloworldと呼ばれるあの世界はいつ消えてもおかしくないのが怖すぎる。きえたらhelloworldという物語の半分は茶番になってしまう。

 


手帳の引用の通り、このサーバーはきっと植物状態になった人のために使い回され、その度にリセットされるのだろうがそこにいる人間は確かに自分の意思で行動している。にもかかわらずリセットされる。これは自分の世界が現実であると信じて疑わない我々にどうしようもない根源的恐怖を生み出すと思うんだなぁ、現代のトゥルーマン・ショー(思い出すのに10分かかった)であるとも思う。

 


この映画はその後がほとんど描かれてない、入れ子一つ目では直美の世界が続くであろうことが描かれてるが2つ目ではその世界がいつきえてもおかしくないことしかわからない。怖いなぁ、非常に怖い。この映画本当はホラーだろ、そう思っちゃうくらい怖い。

 


この映画、SAOの作者が絶賛してるとか聞いたんだけどAIにも意思が宿るという話をあんなにも強く、おもしろく描く人間がこの映画を絶賛する理由がわからない、逆にアンチになってもいいと思うんだ。そのくらいこの映画は仮想世界を軽く見ているのが伝わってくる。面白いんだけどね!

 

 

 

という話。